次代の創造
機械造りから手造りへ。個性ある純米の酒へ。
手造りの酒が旨い、といわれるのはその土地の風土を映し、個性が際立つからだ。 幸い八重垣は、酒造好適米として名高い播州産山田錦、林田川の伏流水という優れた素材を地元にもっている。 さらに昭和46年に若干29才、田中博和という新進気鋭の但馬杜氏を迎えることができた。
質を問う時代に加え、米・水・人の3つの条件が揃ったこと、そして地方の酒造会社として生き続けるために大手とは違うことをやろうとしていたことが、八重垣の方向を決めた。
手のぬくもりを大切にして、古来からの自然の気象に基づく寒仕込みによって純米の酒を醸す。いまも、これからも八重垣はこの酒造りを続けていく。
全国に、そして世界に認められる酒
平成5年7月に待ちこがれていた知らせが入った。「平成4酒造年度全国新酒鑑評会、金賞受賞」。平成6年には全国新酒鑑評会金賞連続受賞という快挙をなす。
また同年6月には全日空国際線の機内酒に、清酒「八重垣」が選ばれた。全日空では特色あるサービスづくりのために機内食の和食の充実がプランされ、その食中酒に日本全国の清酒の中から抜擢されたのだ。
喜びはそれにとどまらなかった。平成8年モンドセレクション酒類部門金賞受賞、後7年連続受賞し、ヤヱガキの酒は世界的にも評価されるようになった。
八重垣の酒を世界へ
海外拠点はアメリカにあるヤヱガキ・コーポレーション・オブ・USA(YCU)。ヤヱガキの出資会社を前身に1999年に生まれた。アメリカ産清酒をこれまでのよう に在米日本人ではなくアメリカ人に販売する計画を進行させるとともに、醗酵技研の原料調達や醸造機械の販売など、グループ全体のアメリカにおける基地とし て機能している。
米作りから酒造りを、人造りから次代を創造する。
八重垣企業姿勢の現われに、近年発表された「箙(えびら)」がある。この「箙」という名は、江戸時代に河野鉄兜が長谷川家の酒の切れ味を絶賛し命名した酒銘を由来としている。
(詳しくは「幕末の動乱」参照)
また八重垣の酒蔵では、今、田中に混じって数人の社員が働いている。彼らは社員でありながら毎年約半年間、田中と文字通り寝食をともにして、昔ながらの酒造りを行う社員蔵人なのだ。
数年先、必ず訪れる蔵人の高齢化、絶対数の不足に、八重垣は人造りによって対処しようとしている。八重垣の酒を生む、本物志向、個性の追求。
これこそ時代が変わっても事業分野が変わっても決して変わらない、ヤヱガキグループすべての心なのだ。