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田中杜氏インタビュー
蔵の杜氏編

取材者/杜氏がお酒づくりに関わられたきっかけはなんだったんですか?
田中杜氏/まず父親が杜氏だったっていうのがおおきかったですわな。最近は但馬杜氏でも後をつぐ若い者がおらんようになってしまったけど、私の若い頃は冬に酒づくりに出るというのがあたりまえのようになっていたから、中学を出ると自然に酒づくりをしました。
取材者/杜氏は兵庫県の温泉町のご出身ですが、温泉町にはたくさんの杜氏がいらっしゃるんですか?
田中杜氏/但馬、南但、丹波、城崎郡にそれぞれ杜氏組合があって、但馬杜氏組合の中に温泉町杜氏組合がありますわ。但馬杜氏組合には約130人、そんなかでも温泉町には約70名くらいの杜氏がおるわけです。温泉町には最近杜氏館というのもできたんで、一度訪れてみたらええですね。
取材者/まさに杜氏の町なんですね。
田中杜氏/私 は温泉町の塩山というところから出てきておるんですが、塩山には杜氏が15名、酒づくりに関わっている人は200人くらいおってだと思います。まだ、半分 ぐらいは温泉町におるでしょうけどね。こんなに早く出てきとるのは、私らぐらいかもしれませんねぇ。温泉町の杜氏は、東は愛知の方から、西は広島のそれぞ れの蔵元へ出ていってます。
まぁ、それでも昔に比べると後を継ぐ人が少なくなって、蔵人も少なくなってしまいましたなぁ。この蔵に来てもらっている人らも多くは塩山から30年ほどいっしょに来てもらっとるんですけどね。
取材者/30年間ですか?
田中杜氏/そ うやね。私が28才で杜氏になってからまぁ、32年になりますが、ずっと来てもらっている人もおります。ヤヱガキでは昔ながらの手づくりにこだわってやっ てるので、各工程でどうしても人の勘ってのが大事になってくるんです。なかなか若い蔵人では難しいですわな。よほど勘がよく勉強熱心でないとね。
酒づくりは時間を見て、『ああ何分経った、これはあと何分だぁ』など言ってするものではないんでね。物を見てするもんですから、1年や2年で簡単にできるもんでもない。
取材者/杜氏もかなり勉強されたんですね。
田中杜氏/ままやのときに勉強しました。人がしとることを見て勉強するんですわ。ばんげに寝ているようではいかんし、人が休んでいるときに休んでいるようじゃいかん。こういうことは教わるもんではないし、習うもんではないから。
今は時代が違いますでねぇ……10年もしたら杜氏はいなくなるなぁ。下積みの時期が長いことも若い人が継がない理由の一つでしょうな。
取材者/ものづくりと聞けば若い方も興味のあるところではないかと思うんですが、10年経ったら杜氏がいなくなるとは、後継者問題はそんなに深刻なんですか?
田中杜氏/私らの世代が働けなくなったら酒づくりが成り立たないようになる、というほどです。雪に閉ざされる冬に家をあけ、妻や子供を置いて半年間出稼ぎに出るという のは厳しいものですからねぇ。子供はそういう親の姿を見て厳しさを知ってますからね、余計やろうという気にはならないんじゃないかねぇ。
まぁ、半年は蔵で寝起きするんですから、若い人の生活には合わないでしょうなぁ。杜氏になりたいとか、酒づくりを極めたいという気概を持った人も少なくなっているのも事実だな。
多くの酒蔵が社員として杜氏を抱えたり、多くの工程を機械化したりしていることも悪循環になっているんだろうね。
本サイトに掲載のインタビューは2002年11月に取材させていただいたものです。







